Profile

加藤友里恵

リオデジャネイロ五輪
トライアスロン日本代表
加藤友里恵さん Yurie Kato

元プロトライアスリートで、リオデジャネイロオリンピック日本代表。3歳から水泳を始めて小学5年時にJOCジュニアオリンピック出場。中学からは本格的に陸上競技を始め、高校、大学、実業団と中長距離を専門とする選手として活躍。2010年(23歳)実業団1年目の冬に故障をしたのがきっかけで、陸上からトライアスロンに転向。得意のランを武器に頭角を現し、2016年リオ五輪出場など数々の好成績を残す。2020年に現役引退後はトライアスロンの普及活動と、地元・千葉県銚子市への恩返しを込めて地域に貢献する活動や次世代育成事業を手がけている。1987年、千葉生まれ。

実業団ランナー時代、厳しい減量による不調とケガ・・・

PAWAGURA(以下PG) トライアスリートの皆さんには「加藤選手」の現役時代の活躍はよく知られたところですが、あらためて陸上競技からトライアスロンに転向し、オリンピアンになるまでの経緯を教えてください。

加藤 元々トライアスロンの前に3歳から水泳を習い始め、小学3年の終わりから中学1年生の夏までは競泳に取り組んでいて、ジュニアオリンピックや関東大会に出ていたんですが、中学校1生の時に水泳部が廃部になってしまったんです。

その後、駅伝シーズンが始まった10月ころに、陸上部の顧問の先生から「駅伝に出てみないか?」とお誘いを受けました。

元々父が陸上競技をやっていたので、小さいころから馴染みがあったし、走るのも好きだったんです。あと、部活の先輩が優しいというのもあって(笑)、陸上競技のほうへ行くことに決めました。

そこから23歳の頃まで、陸上の実業団で走っていたのですが、厳しい減量があって、身長161㎝で体重38㎏くらいまで落としたりしていました。

元々水泳をやっていたので、心肺機能は強く、割と筋肉もあるほうで、体重が重くても走れるタイプだったんです。

しかし、マラソンなどに挑むには減量が必要となり、38㎏まで体重を落としていったんですが、その時に無月経になったり、骨密度も以前よりも半分以下になっていきました。髪の毛とかも抜け落ちてしまったり、肌のツヤや張りもなく皮しかない状態でした。

そんな中、ケガなどもあり、24歳の時に元々興味のあったトライアスロンへ転向することにしたんです。

減量していた頃は、食べるのも怖くて、食事を摂ること自体にストレスを感じていたんですが、トライアスロンを始めて、コーチにまずは食に対するストレスを無くすこと、何でも食べていいと言われました。

そこから、自分に必要なもの、タンパク質量を考えるとか食を改善して、トライアスロンによって身体が作られていきました。そして29歳の時にオリンピックに出場することができました。

オリンピックで体感した「メダリストたちの領域」

PG オリンピックに参加して、どうでしたか?

加藤オリンピックに出たい! と思ったのは、小学生の時です。千葉県のマラソン大会に参加して、その時にたまたまゲストがトライアスロンの選手(庭田清美選手)だったんです。

その時初めてトライアスロンという種目のことを聞いて、さらに2000年にトライアスロンがオリンピックの正式種目になることも聞いたんですが、直感で「これ私向いてるかも」と思ったんですよね。

この時、「トライアスロンでオリンピックに出たい!」と思ったのが夢になったきっかけです。そこから諦めないというか、諦めが悪かったんでしょうね(笑)。潜在意識というのは本当に大事だと思ってて、自分ができると思ったらそれを貫く、なりたいと思わないとまず興味も沸かないですし。

実際、オリンピックに出て思ったことは、メダルを獲るような選手はちょっと違うなと思いました。努力でどうすることもできない領域ってあるじゃないですか。世界に行けば行くほど、肉体的にも精神的にもすごい選手はいっぱいいるなと感じさせられました。

それでも、オリンピックに出て一番良かったと思うことは、周りのみんなが喜んでくれたことです。家族、友達、恩師、地域の方々が私よりも喜んでくれていたので。

自分の夢が、周りの人たちの夢にもなっているというところが素敵だなと思いました。私自身は、嬉しいのはもちろんですが、それよりも目標を達成できた自信とか、日本代表としての責任が大きかったです。

出産後、仕事・育児の両立と
日々のコンディショニング

PG 現役引退後は、どのような活動を?

加藤2020年11月の日本選手権で現役を引退した後は、トライアスロンの普及活動と、千葉県の銚子市を拠点に、恩返しを込めて地域に貢献する活動や次世代を育成する活動を行っています。

銚子市は私が生まれ育った所で、オリンピックが決まった時に後援会を立ち上げてくれて、アスリート時代に色々支援してもらっていたんです。

銚子市は特に少子化が進んでいるのもあって、月に1回(子どもたちや地域の方々の健康増進のため)ランニング教室をさせてもらっています。

現在は1歳の子どもの育児をしながら、オンラインメインでの仕事やイベント企画・運営などの仕事をしています。

PG今、毎日欠かさずしていることはありますか?

加藤本当はヨガとか言いたいんですけど(笑)

欠かさず気を付けていることは、朝一番に食べるものには気を使っています。

アスリートの頃からそうなんですが、朝一番の食事は血糖値が上がらないように、パワグラやお蕎麦だったり低GIのものにしています。後は、乳酸菌(R1など)は摂るようにしています。 今は育児でなかなか運動の時間や、睡眠がとれていなかったりするので、なるべく免疫力が下がらないように食事を摂っています。

毎日のルーティーンは大事だと思うんですが、今のライフスタイルだとなかなか難しかったりするので、なるべく栄養を考えて食事はするようにはしています。 おかげで全然、風邪は引かないです(笑)

運動面では寝る前に必ずストレッチをしています。身体のコンディションを整えるために、肩甲骨を伸ばしたり、お腹を伸ばしたりして寝ます。

普段、抱っこやパソコンなどで気付かないうちに背中が丸くなってしまうんですよね。肩甲骨を動かすと、脂肪燃焼にも良いと言われているので、睡眠前の時間も有効活用したいですよね。

PG仕事と日頃のトレーニングや育児をうまく行うために何かアドバイスがあれば。

加藤現在の仕事はオンラインでやらせてもらうことも多いので、産後2週間から仕事復帰しています。

正直、育児と両立できているかと言われると分からないですが、周りの方の協力があって今はできているなと思っているので、両立の秘訣があるのだとしたら「誰かに頼る」ことだと思います。一人だと絶対にできないので、協力してもらって今はやれていると思います。

年齢を重ねたら、代謝が上がり・身体を温める工夫を

加藤トライアスロンと仕事の両立については、「トライアスリートあるある」かもしれませんが、時間の無駄をつくらないで生活します。

トライアスロンは3種目あってタイムマネジメントをしなきゃいけない競技なんですね。例えば、仕事の時間が決まったら、この時間にトレーニングするということをスケジューリングしていきます。そのスケジュールに自分を当てはめてトレーニングや仕事をしていました。

選手時代は、朝泳いで、2時間休憩して、その間に食べるものなども考えておいたり用意しておきました。なるべく効率良く動けるようにします。

私は特にリカバリーを大事にしていたので、休むタイミングだったり、休息をどのタイミングで摂るか時間をしっかり決めていました。

仕事をしているときは、仕事の時間が決まっていたら、それ以外は時間をしっかり決めてアクティブに動くようにしていました。とにかく1日のスケジュールを頭に入れて、効率良く動けるようにしています。

PG育児をしながら、日頃のトレーニングは何をしていますか?

加藤ストレッチや軽い筋トレは、子どもが寝静まった後にします。後は、朝起きて散歩がてら、抱っこしながら20〜30分くらい歩きます。抱っこしながらスクワットとか、バランスボールに乗りながら、ゆらゆらさせて体幹を使うとかもしますね。

年齢を重ねていくと、運動というよりかは代謝が上がるような身体を温めることをします。

例えば、15分くらい湯船につかるとか、足首を温めて代謝を良くするとかですね。40歳くらいになったら、もう1回動き出したいなとは思います。

今も実家にいる時は子どもを見てもらって走ったり、散歩したりはしますが、なかなか難しいですね。