© Kenta Onoguchi 2022年WTCS横浜

Profile

内田弦大選手 
© Kenta Onoguchi 2022年WTCS横浜

内田弦大選手 Genta Uchida

1997年、滋賀県高島市生まれ、27歳。スタンダード(51.5㎞)を中心に活躍するプロトライアスリート。滋賀県スポーツ協会所属。小学1年生から9年間は競泳に取り組み全国中学競泳大会に出場。高校から陸上を始め、800mで全国高校生陸上競技大会に出場し、その後、関西大学に入学したことをきっかけにトライアスロンを始める。

2016年にU19日本代表に選出され、2016年、2017年と日本学生トライアスロン選手権を連覇。2019年日本トライアスロン選手権で5位入賞を果たす。2022年ASTCポカラで海外レース初優勝。現在は、イギリスのカーディフを拠点に競技活動をしている。

競泳と陸上を生かせるトライアスロンとの出会い

PAWAGURA(以下PG) トライアスロンを始めたキッカケ・出会いを教えて下さい。

内田弦大選手(以下内田) トライアスロンを始めたのは、大学1年生の夏休みくらいなんですけど、小学1年生から中学3年生までの9年間は競泳をやっていました。

200m自由形で全国中学競泳大会に出場はしましたが、全国大会では全然勝てなくて、このまま競泳を本格的にやっていっても絶対活躍できないなと肌で感じました。

水泳の他、駅伝の選手として大会に出ることもあったのですが、僕の走りがそのレースを見に来ていた高校の先生目に留まり、陸上の推薦をいただけることになったんです。それで高校からは陸上を始めました。

PG 「競泳はやり切った!」という感じだったのかもしれませんね。陸上での目標はありましたか?

内田 陸上で全国出場することを目標に据えて頑張りました。結果は、800mでインターハイに出場することはできましたが、中学と同じで全国には化け物がいっぱいで勝てなかった。

大学進学時にも陸上で推薦をいただいたのですが、社会人として陸上をやっていく想像ができなかったので、大学(関西大学)では勉強して友だちと遊んだりアルバイトをしたり、いわゆる普通の大学生活を送っていました。

そんな日々でしたが、ふとしたとき、競泳と陸上をしていたのでトライアスロンをしてみようかなと……。父がトライアスロンをやっていたので、選択肢として頭にあったんでしょうね。

水泳と陸上を掛け合わせたら、ワンチャンあるんじゃないかなと感じてトライアスロンを始めました。

部活ではなく、大学のトライアスロンサークル「INFINITY」を活動の場としていましたが、京都のクラブチームに通っていました。滋賀(自宅)→京都(クラブチームで練習)→大阪(関西大学で勉強)→京都(クラブチームで練習)→帰宅という生活を送っていました。

全国のトライアスロン選手に会いに行く企画in中部大学

PG トライアスロンにのめり込んでいく転機のようなものがあったのでしょうか。

内田 一番大きかったのは、他の人よりもすぐに結果がでたことだと思います。大学1年生のときには学連登録(日本学生トライアスロン連合主催のレースに出場する際に必要な手続き)ができなかったので、まずは1年間練習を積もう、ということになったんです。

実は、陸上を引退してから約8~9㎏太っていて……最初全然動けませんでしたが、1年間地道に努力した結果、大学2年生のインカレでいきなり優勝できてしまった。

その年の2016年にU19日本代表に選出されたことを皮切りに、同年と翌年2017年で日本学生トライアスロン選手権を連覇しました。思っていたよりも結果が出たことが楽しかったんですよね。

水泳と陸上の単一種目では全国で勝てなかったですが、掛け合わせたトライアスロンで勝てるうれしさ、楽しさが原動力になっています。

大学を2年休学して本格的に競技に打ち込む

PG 自分に合っているスポーツを見つけましたね。そこから、トライアスロンのプロを目指したキッカケはあったのでしょうか?

内田 コロナ前、東京オリンピックに向けて日本トライアスロン連合が海外からコーチを招集しナショナルチームを発足する動きがありました。そこに「次世代枠」で招集していただきました。

活動のほとんどが合宿で、長期で海外に行く機会が多くなりました。今は全国で勝てなくて、オリンピックの「オ」の字も見えない状態。でも、これからそれが見えてくるのであれば、ここに時間を費やすことに価値があるのではないか。とすごく感じ、やるしかない気持ちになりました。

物理的にも単位を取得する時間がないし、真剣にトライアスロンに向き合うため、大学を2年間休学しすべてを投入する決意をしました。

それまでは、自分からキャリアセンターのおばちゃんに毎回大会の報告に行ったり、ポスターを貼らせてもらったり。インカレ優勝を報告したときは、大学側は誰も知らなかった……。やっぱり、それがめちゃくちゃ悔しかったです。

でも、インカレ優勝をキッカケに大学の見方が変わり、活動費などサポートしてくださるようになりました。

そのときに人に応援してもらう大切さを感じ、それは競技力に繋がると感じて、人との繋がりをすごく大切にしていました。今では多くの方が応援してくれています。競技をしながらある程度生活ができるなと思ったので、プロとしてやろうと決断しました。

PG 内田選手の活動がまわりの気持ちや行動に影響を与え、変化していったのですね。競技に携わる上で苦労したことはありますか?

内田 苦労というよりは、トライアスロンはやることが多過ぎますね。プロを何で目指したかの話に通じるんですけど、大学4年間では足りなかった。休学を含めると6年ですが。

まだまだやれることが多いと思いましたし、強くなるなって思いました。逆にやらないと全然強くならないなと。海外コーチをはじめ、色んな方に「どうやって強くなったんですか⁉」って聞くと、どこで聞いても魔法のようなトレーニングはないんですよね。

結局、継続とかコツコツすることをとても大切にしている。そこが一番難しいなと思っています。苦労することを楽しんでいるかもしれませんね(笑)。

環境もいろいろと変わりました。京都クラブチーム→ナショナルチーム→独立して個人で活動→拠点を海外に。自分で環境に順応していかなければならないので苦労しましたけど、今の力になっているなと実感しています。

2023年かごしま国体で優勝

PG 競技人生の中で忘れられないシーンはありますか。

内田 やっぱり優勝できたときはすごくうれしいですね。トライアスロン競技を8年やってきて、1番は数えるくらいしかない。表彰台はあったとしても1番は特別ですよね。

大会の大小は関係なく、その大会に向けて練習をして、体調をマネジメントして、ピークをその日にもってこれた人が1番になれるので、すごく特別だし、1番でゴールテープを切ったときは印象に残ってます。

ゴールで家族がよろこんでいる姿を見ると努力が報われたと思えるし、僕の活動を通じてたくさんの方が喜んでくださるのは、うれしいです。

退路を断って海外へ

PG 今までのお話を踏まえて、現在のことをお聞きします。海外に拠点を移した理由と海外生活のリアルを教えてください。

内田 海外に拠点を移した理由は、日本でひとりでトレーニングをしていて順調に結果も出せていましたが、コロナ禍でこのままの環境ではパリに届かないと感じたからです。

そう感じたのに、スポンサーや応援してくださる方に向かって、自分は「パリ行けます」「頑張ります」って心の底から言うことができませんでした。どうするべきか考えたとき、1%でも自分の目標達成に近づくのであれば海外へ行くしかないと思いました。

このままだと駄目だと思っている自分がいるのに、ここでやり続けてたらただの嘘つきだと思ったんです。その瞬間、行動に移しました。現在、日本から男子で海外に拠点を置いている人はいないですし、言葉の壁もありますし、過去に経験者がいないリスクがある中での決断でした。

PG おっしゃるとおり、いろいろと障壁はあると思いますが、苦労していることなどありますか?

内田 まず苦労したことは、どこのチームに決めるかですね。海外のコーチ向けに資料を作ってダイレクトメールでアプローチをしました。現コーチからポルトガルでキャンプするので1回練習に参加しては? とお誘いをいただいたことがキッカケで、イギリスのカーディフのチームに加入することになりました。

練習期間の3カ月間は、一生忘れません。こんなに長い滞在期間は初めてで、生活基盤を整えるのが一番苦労しました。いつも緊張感があって、今後どんなことがあっても大抵のことは大丈夫です。(笑)

日本人トップの3位表彰台(2023年アジアスプリント選手権)

PG プロトライアスリートとしての今の立ち位置は?

内田 今は日本ランキング8位(2024年3月現在。ランキング詳細はコチラ)ですかね正確に言うと。結構順位の変動があるんですけど。

昨年だと最高で日本ランキング3位までいきました。今年はコーチとも話したのですが、「未来のためにレースの参加回数よりも鍛錬しないといけない。ちゃんとここに拠点を置き、しっかり練習をして強くならないといけないよ」と、コーチから言われました。

多くの日本人のように、ポイントを稼いでランキングを上げるだけでは、アジア圏のレースで勝てたとしても、世界選手権になると全然勝てない。今はレースの回数が減ってでも、しっかり練習を積むことにフォーカスし向き合おう、とコーチからアドバイスをいただき、方向性を決めました。

みんながレースで結果を出して、悔しい気持ちにもなりましたし、ランキングも大きく後退しましたが、未来を見据えるようにしました。この選択が良かったと思えるようしっかり練習をして結果を残していきたい。自分の決断に後悔はありません。

疲れをためないためのケア・睡眠方法

PG トライアスロンは消耗が非常に激しいスポーツですが、レース前後に意識していることはありますか。

内田 リカバリーはすごく重要です。サプリは「アミノサウルス」を使っていますし、練習後は必ず飲んでいます。また、トライアスロンをしている方で、ランパートで足をつる人が結構多いと思うんですが、そのリスクを避けるためにオイルを使ってレース前に身体の表面をマッサージすることで、つるリスクを下げることができます。

それって自転車界では普通なんですよね。水泳選手もレース前にジェルを塗っている方もいます。具体的には、「イナーメオイル」というものです。僕もずっと使っているもので、今年もつることはなかったですし。セルフケアでもレース前に使うとレース後の疲れや溜まることはないですね。

トライアスロンをはじめてびっくりしたのが、連戦するんですよね。2週連続、3週連続でレースが開催されるため、サプリメント、ジェル、オイル、移動中のソックス、着ているウエアの生地などレースに万全の体調で臨めるように気を遣っています。

トライアスリートの方は、飛行機での過ごし方ひとつをとっても気を遣われていると思いますよ。アイマスクしたりやパジャマに着替えたりなど。

PG 質の良い睡眠をとるために行っていることはありますか。

内田 コーヒーを15時以降は飲まないようにしています。また、練習時間も大事で、遅くまでトレーニングしていると覚醒しているので、睡眠が浅かったり、眠れなかったり。レース後も寝つきが悪かったりしますね。

そのため、ポイント練習を午前にもってくるなどの工夫をしています。食事も消化を考え就寝までの時間を空けるなど。ガーミンを付けて寝てるんですけど、睡眠のクオリティの良し悪しのデータを取って検証しています。

PG モチベーションの維持についてどうでしょうか。

内田 思考から変えること(思考管理)。行動に移すこと(行動管理)。明確な目標設定を意識づけ、常にイメージをもつこと。

コロナ禍はモチベーションを維持することは大変でしたが、自分で奮い立たせていました。
やらなければならない、しなければならないと思っているときは身体は動かない。自分がしたいと思うと身体は動いてくれる。海外に行ってからモチベーションを高い所でキープすることが自然とできるようになりました。

海外に行って最先端のトレーニング、最高の環境で最高のコーチと競争し合える選手と一緒に練習をすることを望んでいたのは確かですが、生活の面などを含めて日々の心の安心安全を担保することが難しかったですね。

でも、そこから自分でひとつずつ積み重ねていきました。そうすると、トライアスロンをやれてること、自分は夢を追えて幸せなこと、プロとしてトライアスロンをしていることに誇りを感じました。

初めて世界選手権シリーズ(WTCS)に出場(2022年横浜大会)

応援されるプロになることが使命

PG 他プロのトライアスリートとの差別化として、インスタなどのほか、TikTocやVoicy、ポッドキャストなどさまざまなSNSで発信されていますが、その意図とは何でしょうか。現在の「感謝」をテーマにした取り組みも含めて教えてください。
>>内田選手のインスタ

内田 トライアスリートとしてそれが仕事になっていて、トライアスロンを通して人に良い影響を与えることが自分の仕事だと思っています。

いかに多くの人にSNSを見てもらえるかを考えています。知っている選手を応援することは楽しいじゃないですか。「競技力を高める」とか「結果を出す」ということは、プロアスリートとして当たり前のこと。

その上で何をするかがとても重要で、結果を出すだけでは自己満足なので、ひとりでも良い影響を与えるためにSNS等、いろいろな活動をしている感じですね。

PG プロのトライアスリート引退後、セカンドキャリアについてはどうお考えですか?

内田 プロトライアスリートして僕の中で考えているピークは、2028年のロサンゼルスオリンピック(32歳のころ)と思っています。そこが分岐点になるのではないかな?

セカンドキャリアについては、まだ具体的に考えていません。そのときの自分の立場によっても選択肢はかなり広がると思うので。競技者としてやっていく中で、セカンドキャリアに向けて高められるものがあると思うんですよね。

ファンの方とか、資金力だったりとか。プロとしてのキャリアは終わりますけど、ファンの数だったり、資金力って引退してからも財産として次のステップに活用していけるものなので、競技者をしている間に高めたいですし、もてるようにしておきたいなと思っています。

PG フルタイムで働きながら、トライアスロンに取り組んでいるエイジグルーパーの皆さんと関わることもあると思いますが、「トライアスロン×ビジネス」の相乗効果についてどう思いますか?

内田 まず、そういった皆さんに対しては尊敬しかないですね。僕は1日の時間をトライアスロンに捧げているので、3種目やってるとは言え、それしかやってないですよね。

出勤前に早朝スイムをして、普通に8時間働いて、仕事後にランやバイクをしている方を見ると、精神力も凄いし、体力も凄いし、タイムマネジメント力も凄いし、ホントに変人レベルと……ケタが違うとホントに思っています。

レベルとかは関係なくて、トライアスロンって完走した人は全員勝者って言葉があると思いますし、速さがすべてではないと思うんですよね。ゴールした人みんな勝者なんで、やり抜いた人とか、そういうところに価値があると思っています。

トライアスロンって、ひとかき、ひと踏み、一歩のように細分化するとすごく地味ですが、経営者の方とお話をする機会があると、経営もホントに地味で単純作業の繰り返し。トライアスロンも一緒です。競技中に足を止める=事業で大変な時も足を止めるってこと。自分を奮い立たせてやっている話を伺ったりします。

トライアスロンとビジネスは似ていると。そういう見方がひとつと、ビジネスもトライアスロンも予想外のことが多い。波があったり、スイム中に周りに人がいたり、足がつったり、バイクでアップダウン時に風が強い、自分たちではどうにもできない要因がとても多いですよね。

想定外のことを想定内にひとつでもすること。経営者クラスの方と話して、切替や判断能力が高い印象があります。皆さん、仮説→検証を繰り返しています。

©Yuki Asato

PG エイジグルーパービジネスマンにメッセージをお願いします。

内田 先ほども言いましたが、尊敬しています。今は、ビジネストライアスリートとエリートトライアスリートの間が空いている印象です。トライアスロンをやっていても、エリート選手を知らない方が大半だと思います。

僕のことも知らない人は多い。出場大会などの経歴を聞くと、ビックリされることがあります。僕がその懸け橋になって、もっと交流があるといいなと思いますので、ぜひ僕のSNSも見てくださいね!

PG では、前半の最後は、今後の展望についてお聞きして終わろうと思います。

内田 競技としてはオリンピックに出場して、金メダルを獲ることです。全競技の中で男女でメダルを獲得していないのは、トライアスロンだけなんですよ。メダルを獲得できたらパイオニアになれる。人生でこんなチャンスはありません。

パイオニアは自分で道を開拓していくので、内田弦大はそういった人間だと思っています。海外で結果を出して、メダルを獲得して、レジェンドにはなれないですけど、パイオニアにはなれると思っています。